教会へようこそ  HOME>教会へようこそ>映画と文学
HOMEBACK

  映画と文学

     
長崎へようこそ
映画・ 文学
 

映画



活水学院 学生・生徒さん、長崎バプテスト教会の子供たちが出演しました。


 
映画「わが心に刻まれ乙女たちを − エリザベス・ラッセル女史の生涯」「文部省科学省選定映画」に選ばれました。

活水学院創立百二十周年記念映画
語り:檀 ふみ
監督:保坂康夫

出演:エリザベス・ラセッル デボラ黒岩
    ギール女史 シーラ・ノーリス
    ヤング カレン政次
    官梅 能 藤原 愛
    徳永ツギ 野口美香
    中山マサ 岡崎直子
    神近伊市子 原田明日実
     活水学院 学生・生徒さん、
      長崎バプテスト教会の子供たち

企画:活水学院、製作:RKB映画社

 

   

文学


 


カトリック作家・遠藤周作と長崎

 

 
 カトリック作家・遠藤周作は、とかく殉教者だけが称賛され信仰の落伍者が蔑まれ非難される風潮の中で、このような信仰の落伍者と呼ばれた人達の苦悩する姿に目を向けて新たな信仰の視点を問い続けた人だと言えよう。「沈黙」、「女の一生」、「切支丹の里」など、このような人達を主人公とした名作が長崎を舞台に書かれている。取り分け、「沈黙」は彼の代表作として多くの読者を魅了した。その舞台となった外海は、隠れキリシタンの里として知られ、彼は何度も取材に訪れている。

長崎にキリスト教が伝えられてから約450年。この間、初期には北有馬や長崎にセミナリヨ(中等神学校)が、長崎(加津佐から移転)にコレジョ(神学校の最高学府)が開校されて多くの少年達が哲学、神学、ラテン語、自然科学、西洋音楽などを学び、学び舎に或いは教会に賛美歌が流れる平穏な時期もあった。しかし、その後は豊臣秀吉の宣教師追放令に始まり、江戸幕府による幾多の迫害と殉教の苦難が続き、多くの宣教師や信徒の血が流された。だが、潜伏したキリシタン達は、一人の宣教師もいないまま七世代250年の間、信仰を守り通した。そして、ついに潜伏キリシタン達は、1865年、開国と共に渡来したプチジャン神父と大浦天主堂(国宝)で歴史的な出会いを果たし、公然と信仰を表明し始めた。しかし、当時の日本は、信仰の自由に関しては未だ夜明け前であった。やがて1868年に起きた浦上四番崩れにより浦上村のキリシタン信徒達は一村総配流となり、20藩32ヶ所に配流された。実質は流罪であったこの苦難を、浦上の信徒達は「旅」と言って耐え抜いた。この事態はキリシタン禁制が解かれた1873年(明治6年)まで続いた。配流者総数3,384名、死亡者613名、改心釈放者1,011名、不改心釈放者(最後まで信仰を守り通した者)1,900名であったと言う。但し、1,011名の人達も、帰郷後に信仰を取り戻したと言われている。

 配流の期間中に信徒達が受けた苦難の数々は、語り継がれ、様々な形で紹介されているが、何よりも死亡者613名という数が如何に過酷な扱いを受けたかを如実に物語っている。しかし、改心釈放者と言われる人達とても、絶望的な状況の中で悩み苦しみながら苦渋の決断をせざるを得なかったに違いない。

 

 長崎をこよなく愛した遠藤周作は、晩年、「自分は長崎をふるさとのように思っているから、死んだら長崎に墓を作ってほしい・・・」と知人に手紙を送っている。

 現在、外海町には「沈黙の碑」(「人間がこんなに哀しいのに、主よ、海があまりにも碧いのです」と刻まれている)があり、また、遠藤周作没後、遺族から寄贈、寄託を受けて「遠藤周作文学館」が建てられ、遠藤周作とその文学を理解し研究する場、広く文化活動の場に活用されている。文学館からは、五島灘に沈む夕日や「沈黙の碑」がある出津文化村などの景観を一望できる。

 
                                          (文・・・ 小吉)
TOP