「原爆の想い出」

吉見 豊

　

昭和二十年八月九日十一時二分原爆第二弾は長崎市にて炸裂した。当時私は三十八才にて三菱長崎造船所に勤めていた。その時刻、私のいた場所は造船所構内水ノ浦のコンクリート建六階の最高処にあった設計室で爆心地から三キロの地点であった。それは空襲警報解除後の警戒警報下のことであった。私の席は壁を背にして北向きで前方及びに左右側方壁にはガラス窓が並んでいて約百名が机を並べていた。突如三方の窓にマグネシウムをたいたような強烈な光が射した。その瞬間広島に落下された新型爆弾と直感した。と云うのは広島出張中に被爆した同僚Ｙ君がその朝、帰任して得体の知れぬ爆弾による被爆の体験を私どもに話してくれたばかりであった。私は即刻に周りの人々に机の下に潜り込むように伝えて最后に私が潜り込むや否やゴーッと云う爆風の音と続いて窓ガラスの破れ散る音を聞いた。しばし辺りの静まるのを待って、机の下より這い出して窓外を見たが褐色のガスが立ちこめて視界はゼロであった。

当時私は社内防護団の班長をつとめていた。間もなく全員退避の指令が来たので先づ自分の係の人達を防空壕に避難させたあと助手と共に私共の部屋の煙草の火の始末を見て廻った。そのあと地階まで降りる階毎に他の課係の火の気の有無をも見て廻った。当時は全窓を開放してあったが旧式のビルなので全壁面に対する窓面積が小さいため、風が通り抜けず窓ガラスの鉄枠が窓から外れ出してへし曲る程の風圧がかかった。殆どのガラスは粉微塵になって飛散っていた。また爆風で机上の書類図面は部屋の通路に飛散していたが机の上に戻す時間の余裕もなく、その上を踏んで通らざるを得なかった。防空壕にはいると他課係の人達の多くはガラスの破片が肌にささって血だらけになっていた。当時はエアコンもなく設計室ではランニングシャツだけで肌をあらわに出して仕事をしている者が多かった為である。送電、通信線は切断された様子で、暫くは何処に爆弾が落ちたか、また果して爆弾であったのかも全然判らぬまゝであった。漸く約二時間後の午后一時頃になって市の北部浦上地区は壊滅し、目下尚炎上中との情報がはいった。差当たり浦上地区居住の人達を退社帰宅させて家族の安否を見とどけさせるようにとの本部指令を受けた。（翌日聞いたが、この人達の平素使っている通勤の道は火の海なので遠廻りして西山より金比羅山を越えた自宅に辿り着いたのが多かった由）

当日午后は設計分団防護団室に他の班長達と共に詰めて別に被災現地へ派遣した調査員よりの連絡を受けて家族の救護に人を派遣する手配をした。連絡のはいるごとに被災地の範囲が相当に広く又被害度の甚大さに驚いた。

夕方になって爆心地より更に延びた類焼線上に近い処に住んでいる防護団員は一応家の安否を確かめに帰宅するようにとの指令があった。私は六時発の社船で水ノ浦から大波止に渡った。正午頃県庁に発した火災は市役所の方向に国道沿いに、しかも本下町、築町の方向に巾を広げて類焼をつゞけていた。そこで私は大波止から県庁の裏側江戸町を抜けて西浜町に出て、それより中通りを経て銀屋町教会に到着した。その時火災は賑橋の電停近くまで延びて来て、更に電車道沿いに道の西側と出来大工町の方向へと延びて行く様であった。この火は教会とは中島川を挟んでいるし、その時の風向きでは教会への類焼の心配は先づ無さそうであった。会堂は爆風による外圧を受けて側壁の主柱は建物の内側に向け軽く「く」の字型にへし折れていたが、倒れなかったのは厚紙が柱に代って屋根等の上部構造物を支持し得たものと思われる。会堂の窓枠は壁から外れ出し窓ガラスは粉微塵に飛散っていた。屋根瓦はひどく崩れて、処々ですけて空が見えていた。牧師吉見信先生は御怪我はなくて幸いであった。丁度そこに市役所の戸籍係の人が来て市役所の戸籍簿を一時教会に移して預って貰えないかとの依頼を受けた。県庁からの出火で風下にある市役所は次第に危険になって来たからである。教会を辞して袋橋のたもとで真黒に汚れた少年が賑橋の方から走って来て其処に立っていた母親にとりすがって泣きだした。見ると背中の皮がペロリとはがれていた。爆心地近くで被爆したのであろう。

片渕の自宅に着いた頃は薄暗くなっていた。私の住居は城の古趾の麓、通称「後の谷」と呼ぶ谷間であって地形は可成り複雑であって、爆心地より三キロの地点にあるが爆風は弱められることなく或部屋の如きは床下へ廻った爆風が床板を畳もろ共吹上げて天井板を抜いた程の猛烈さであった。家人の負傷はなかった。
九日夜米軍機が撒いて行ったビラを友人Ｎ君は稲佐山麓で拾ったとて翌朝会社に持って来て見せてくれた。「市民よ速かに退出せよ」との見出しで「今日投下する爆弾はＢ２９千機が搭載する爆弾に匹敵する破壊力を持つ新兵器で米国は之を尚多数保持している。市民よ日本国天皇に速やかに降伏するよう懇願せよ」と云うのが大意であった。これで広島と同様の新型爆弾であることを知った。

原子爆弾の中心地浦上地区は当時三菱兵器製作所、三菱製鋼所等の大工場があったが、住宅街でもあったので私の会社の従業員も多数この地区に住んでいた。従って従業員家族の被爆者は相当多数に上った。原爆投下の翌日から終戦までの六日間はまだ戦斗状態下にあったので防空の仕事と被爆家族の救済作業との双方の処理をせねばならず、しかも原爆の十日前、七月三十日に長崎造船所の造機工場は多数の半トン爆弾で散々に破壊されていたが、この取片付けが殆んど済まない時点でこの原爆に見舞われたので工場の生産機能は殆んどとまってしまった。

原爆翌日十日、私は防護団の当直だったので救護作業の連絡と対策処置に専従した。その日現地調査より防護団詰所に帰って来た人達の報告の中には左記のようなのがあった。即ち多人数が浦上川の浅瀬に横たわって死んでいた。被爆後大変な渇きをおぼえて汚れた川水ではあったが川に下りて飲んでそのまゝ倒れたようである。当日病欠していた私の課の雇員Ｔ嬢の死体を城山川の流れの中で発見した。また私の配下のＴ君の妹さんは焼跡に片膝を立てゝ片手を上にしたまゝの姿勢で焼死していた。後日聞いた処では妹さん二人は倒壊家屋から逃出そうとした処、姉さんは梁の下敷になって妹さんの力ではどうしても曳出せなかったので応援を頼むべく人を探しに行って再びその場所に帰って来た処その間に火が廻って焼死してしまったとのこと。

十一日（原爆投下二日後）当日私に課せられた任務は私の配下のＹ君の家族の遺骨を拾うのに同君を授けることであった。場所は現在の城栄町で爆心地より約三百米で私としては初めての爆心地入りである。スコップを肩に独りで浦上川に沿って歩いて行った。途上種々の死体に出会った。生存者は昨日の中に運び去られたとみえて殆んど見受けなかった。目的地でＹ君と出会って作業を始めたが、灰塵に帰した焼跡での遺骨探しは地下足袋の底から伝わって来る熱で三十分以上は続けられず度々道路に出て足の裏を冷やさなければならなかった。冷やすと云ってもその道路も夏の日照りで可成り高温であった。此の家の二階にあった銅製品が隣家の焼跡にあったので家屋は横倒しになって焼けたと考えられる。隣家の焼あとまで探したがＹ君の両親の遺骨と思われるものは遂に見当らず。帰途大橋の電停（当時は此処が終点）に出てそれよりは線路づたいに長崎駅前へ出た。此の日現場への往復の途上で見かけた半焼けの死体。焼けないで腐爛しかかった死体、完全に焼けて骸骨だけになったもの等、様々の死体が此処彼処にあって焦げと腐爛とで異様な臭いがただよっていた。その有様は筆舌の尽くせる処ではない。その日夕暮れに自宅に帰りつき電灯もつかないので縁側の月あかりの下で夕食を摂ったが昼間見た腐爛死体が食器の上に二重映しになって浮かび出て、また昼間の臭いも身体にしみ着いている様で食慾を全然なくした。

十二日、夥しい死者で棺など迚も入手出来ない。殆んどの遺体は焼跡でむき出しのまゝで焼いていた。造船所ではこの日から手持の木材で棺を作って従業員の家族の遺体を成る可く棺に収めて鄭重に扱う様にした。この日棺に収めて会社の水ノ浦事務所横広場に並べた遺体は約十体であった。その中の一つを遺族の方が蓋をとられるのを見た処その遺体は真黒に焦げてその上を既に多数の蛆が這っていて思わず目をそむけた。

十三日、飽ノ浦の三菱病院に友人の家族を見舞った。病室は満員で廊下にまで多数の患者を寝かせてあった。腐敗した異様な臭いの中であちこちで呷めき声が聞こえる。この中で同僚Ｔ君の奥さんは息を引取られた。

十四日、終戦の前日、配下のＦ君の奥さんは竹之久保で被爆し、その後小瀬戸の実家に帰ってそこで亡くなられた。この日小瀬戸から舟で竹之久保まで運んで来て自宅の焼跡で（現在の活水高校入口附近）茶毘に付すとのことで若手数名を連れて参上した。当時遺体は夫々近くの焼失家屋の焼残り建材を拾い集めて近親者や友人で火葬をした。火葬のお手伝など勿論生れて初めてのことで木材だけではそう簡単に焼けるものでなく、又、その御主人の前で惜気もなく焼いてしまうと云う所作が迚も辛いことであった。その中夕方になって十米程距った隣家の敷地では焼跡にトタン板一枚だけで覆ったにわか造りの小屋で臨終の奥さんを唯一人で看とっている主人の姿を見たが、その人の心境を察し思わず泣けた。

十五日、終戦、この日まで右記の様に会社関係の同僚、配下の人達の家族の救援にすっかり時間と身体とを縛られてしまって、教会会員の方々の安否を問うことが出来なかったが、森崇兄（福間ソエ姉令息）は三菱製鋼所で亡くなられ、同製鋼所々長であった久保田長老の夫人は道尾方面へ所用で出向かれた途上で被爆、遂に不明とのこと。また石崎戌兄は大学病院で被爆死された。兄は大学外科の助教授であった。庄司兄は大学病院正門前にて運送業をして居られたが家は全然あとかたもなく全家族被爆死された。

終戦の日が過ぎて間もなく以前に飽浦教会の牧師をして居られた川上先生がひょっくり拙宅を訪ねて来られた。先生は当時鎮西学院の先生をして居られ爆心地より八百米の同校構内で被爆された（現在の活水高校敷地）。自宅は爆心地より三百米の大橋電停に近い処にあって全焼し奥さんと二人のお嬢さんを失われたが、その遺体の確認が出来ぬまゝに、若しや私の家にでも避難して世話になっていないかと尋ねて来られたのであった。その望みもあわく消えて悄然と帰って行かれる先生の後姿を見て気の毒でならなかった。その後しばらくして先生を訪ねた処、髪はガサッと抜け被爆患者によく見受ける痛々しい様相をしておられた。然しその何年か後には元気になられて、頭髪はふさふさしてむしろ抜けられる前よりも多い位に見受けた。しかし四十八年夏原爆病院に人を見舞った折、廊下で先生から呼びかけられて先生が原爆後遺症で入院治療しておられることを知って淋しい気持がした。それから幾度か病院にお見舞いしたが二年後に遂に召天された。

戦争末期には私達軍需工場に働いていた者は日曜も出勤で久しく教会の礼拝にあづかれなかったが、終戦と共にしばらく毎日曜礼拝に出られる様になった。然し、原爆による傷みで会堂の雨漏りが甚だしく、雨の日には会堂内で傘をさゝねばならぬ程に天上に大きい穴があいていた。然し大工の不足、建材の不足の為修理も簡単には出来なかった。幸い終戦の年の十一月に鎮西学院が竹之久保校舎の復旧困難のため仮教室として銀屋町教会の会堂を借用することとなり、学院によって会堂の修理が行われた。会堂は区切って二教室が作られ、この一教室で礼拝が行われた。半年後鎮西学院は諌早に土地を求めて新校舎を建造することになり、二十一年三月教会専門の姿に復帰した。この建物は三十九年火災で焼失したが、今も礼拝時に折々に原爆の頃を思い出し、感慨を深くしている。