「原爆思い出の記」

草野 季四郎

　　
一、地獄地帯を通ってわが家に
二晩工場に泊まり込んで、三日目の夕方帰途についた。その道中の模様を少し書いてみよう。

正門を出て右に曲がると、先づ大きな馬の死体に出合った。口を開け、目をむいて倒れていた馬の腹は物すごくふくれていた。
川端に立ち並んでいた小さなバラック式の家は、皆吹き飛ばされたり、つぶされたりしていたが、この辺には火災は起っていなかった。屋根は吹き飛ばされ、周囲の壁が倒れかかって少々残っていた家をのぞいて見たら驚いたことには、丸い飯台の周囲に母親と五人の子供が黒焦げになって死んでいた。皆うつ伏して黒焦げのお尻を持ち上げていた。待避の姿勢のまま一瞬にして黒焦げになったものであろう。丁度お昼御飯が始まったところにドカンと来たものらしい。全くひどい話である。

次にその隣の家をのぞいて見た。ここでも丸い飯台の周囲に母親と数名の子供の黒焦げ死体がころがっていた。最初の家とすっかり同様の惨状であった。
あまりにひどいので三軒目には、のぞく勇気が出なかった。川添いの十数軒の家は皆同様の惨状を呈していたことであろう。否十数軒どころではない。焼野原地帯の一万軒の家庭にも同様の悲劇が発生していたに違いない。焼けた家の飯台の回わりには白骨の死体が円陣を作っていたことであろう。

岩屋橋を渡って歩き出した。吹き飛ばされたバラックの木材は皆川に吹き込まれて、浦上川の上流は木片で埋り、川の水は妙に黒ずんで流れを止めていた。

大橋に来た。成る程見渡す限り焼野原である。「長崎には、もう何もありません」とはこのことか。然しよく見るとコンクリ−トとか煉瓦の構築物や建物は破損しながら残っているので廃虚と言った方がもっと適切であろう。腐った死体が散乱し、それより発する悪臭が充満している廃虚である。地獄である。

何とも言えぬ死臭を呼吸しながら三キロの地獄道を通過することは一寸出来そうにないので、止めようかと思った。然し止めれば金比羅山を越えねば帰える道が無いのである。何くそと、くそ元気を出して地獄道を歩き出した。

歩くに連れて死臭は益々猛烈となる。成るべく息をつめ、わき見もしないで早足に歩いたが、道ばたの出来事は目についた。浜口町停留所そばの焼跡で、身形の立派な中年の女の方が、五、六人円陣を作って泣いているのがあった。あそこには、元大きな酒屋があった。あの酒屋さんには沢山の娘さんがおられたものであろう。多分その娘さん方が親の骨拾いに嫁入り先から帰えられ、見付かった遺骨を中心に円陣を作って泣いておられるのであろう。こんなことを想像したりして歩いた。

浦上天主堂の尖塔は二つとも転落し、鎮西学院の大校舎は北端が崩壊し、城山小学校の校舎は南端が崩壊していた。（この三地点を結ぶ三角形のほぼ中心部が現在の爆心地である。）

悪臭の地獄道も長崎駅辺で終りとなり、それから先は楽な道となった。夕方七時頃わが家に帰着した。幸、家内も近隣の方々も皆御無事であった。家は爆心地から約四キロの地点にあった上、その中間に金比羅山がそびえていたおかげで、倒壊だけは免がれていたが、相当な傷み方であった。屋根瓦が大きく波を打っていたので、家の中から天が透かして見えた。二階の床の間の壁に直径三十センチ位の大穴が明いていた。

裏の空地にテーブルと椅子を出して食卓が出来ていた。家内の話では、同町の大串青年団長が、原爆投下の翌日、長崎兵器の大橋工場まで、状況調査に出掛けられての帰りに立寄られ「大将は元気で採配を振っていたぞ」と報告されたので、それからやっと元気が出て、家の中の取片付けを始めたとのこと。家の中がまだよく片付いていないので、食事は外でと言うことであった。

テーブルの前に腰をおろすと、お隣の奥様がコーヒーを一杯持ってきて、無事帰宅をお喜び下さった。あの一杯のコ−ヒーの味は忘れることが出来ない。その夜家内から聞いた当日の模様は次のようなものであった。

ラジオが「島原上空二機東進」と言ったかと思うと間も無く「ブーン」という音が聞こえたので「もう来たぞ」と言って裏の防空壕に走り込みました。壕の入口で「ピカッ」とした光を受け、壕に入ってから熱風が、わくっと押し寄せて来ました。後で顔が少しひりつきましたが、火傷と言う程ではありませんでした。

私のすぐ後からお隣の奥様が同じ壕に入って来られ「南無阿弥陀佛」を唱え始められました。それから上隣の奥様が走り込まれました。約十分間、三人で壕の中にしゃがんでいたのですが、爆撃がおさまった様でしたので、そっと壕を出て見ました。

その時までは、外には煙が立ち込んでいて、数間先は霞んでよく見えませんでした。家の中をそっとのぞいて見ましたら、畳は吹き上げられて大波を打ち、たんすは倒れると言った大騒動になっていました。

それから凡そ二十分位で煙が薄らぎましたので門の外に出て見ますと爆撃で負傷をした人々が次々と、下の方から上って来ておられました。

以上が家内の体験談で、爆心地から凡そ四キロ地点の当日の模様である。

その翌晩は工場で泊った。泊ったと言っても別に宿泊所があった訳ではない。窓ガラスも何も無い技術部建物の廊下で椅子に掛けたまま着のみ着のままで眠ると言った野宿よりも少し上等の宿泊の仕方であった。

その翌晩又わが家に帰ってみたら、今度は増本の奥様がお見えになっていた。増本のご主人様は長崎兵器の工作部次長で、私と同室で執務しておられたが、原爆当日即死された。お家は稲佐にあったのでこれも倒壊したが、偶々奥様は裏側にあったトタン張りの小室におられたので御無事であった

近所にお住いの小倉弥江子さんが、偵察方々十三日のお昼頃拙宅に見えて打合せをされ、その夕方再び増本の奥様を連れて来られたとのこと。とにかく、増本の奥様は当分拙宅に、おあづかりすることに話が決定した。

二、台湾から来た手紙
台湾のＫさんから牧師に来た手紙の中に次のような一節があった。
昔教会の青年会の時、副島君が草野さんに向かって「草野さんは工場で水雷を作っておられますが、そんな物を作られると地獄に行きますから、お止めになった方が良くはないかと思いますが」と申しますと、草野さんが「私が止めれば、誰か別な人が代って水雷を作らねばならぬことになります。そうすると今度は、その人が地獄行と言うことになりましょう。結局自分が助かって、人を地獄にやることになりますから、いっそ自分が地獄に行くことにしましょう」と申されましたので大笑いとなったことがありましたが、草野さんはお元気でしょうか。

Ｋさんが昔、長崎医大の学生時代の話である。多分、草野は原爆でやられ、今頃は地獄に行っているのではあるまいかと案じられてのお手紙であろうと思う。それに対して草野は次のような返事の手紙を書いた。

Ｋさん、お元気で何よりです。三十数年前の例の地獄行きの話、よくも覚えていたものぢゃなあ、と驚かされました。私自身は、すっかり忘れていました。そんな妙な理屈を申し上げたかなあ、と言った程度にしか思い出せません。然し副島君の予言通り地獄に行きましたよ。原爆地獄と言うやつ。それはそれは、言語に絶する、ひどい所でした。

私の家と工場との間には、約三キロ四方の焼け野原があり、いやでも、その中央を通過しなければ私の工場に行くことが出来ませんでした。そこには数万の人畜の死体が散乱していたのです。

腐敗死体から発散する何とも言えぬ悪臭の充満している焼野原を、蝿の大群におそわれながら往復する毎日、とても酷いものでした。地獄の味をしみじみと味わわされました。あんな所は二度と行けた所ではありません。従いまして、三十年前の私の放言は取り消させて頂きたく存じます。

地獄には、われ人共に、絶対に行ってはなりません。
幸なことには、私も家内も、この地獄から救出されました。お陰様で二十数年後の今日も元気に暮していますから御安心下さい。但私は難聴に悩まされていますが、これは年のせいでもありましょうから止むを得ません。

さて終りに世界平和の問題ですが、全世界の一人一人が、この問題について真剣に考えねばならぬ時が、いよいよ到来していると言うことではありますまいか。
聖書に「剣をとる者は皆、剣で亡びる」とあります通りに、軍国日本は亡びました。然しこの聖言は、戦勝を誇る者の愚かさをも同時に教えています。

全世界の人類は、お互いに助け合い、愛し合うこと以外に、生きる道が無いと言うことを、今こそ悟るべきで御座いましょう。
そこで、如何にして世界に真の平和をもたらすかと言うことにつきまして次に愚見を述べさせて頂きます。
この難問に対する答は、矢張り「あなた方は皆兄弟である」と言う「聖言」に立脚することではないかと思います。全人類は、天地万有の根源である、一つの者から出ている兄弟であると言う圧倒的な確かさの上に立って、お互いに信じ合い、手を握り合うと言う訳には行きますまいか。
妥協ではありません。、イデオロギーは違ったままでよい。世界人類の一人一人が神の愛子であるから、手を握り合い、信じ合い、愛し合うと言うことです。
私の長い工場生活の体験を述べさせて頂きますと、一工場の中には必ず極く少数の悪党的存在がいるものですが、この悪党も、よく話し合って見ると、決して本当の悪党ではなくて、見方によっては、普通人にもまさる純なるものを持つ立派な存在であると言うことです。
初めから悪党と決めてかかれば悪党となり、信じてかかれば立派な味方となると言うことであります。
然しながら、実際には、工場の場合の様に、そう簡単には行きますまい。だからと言って「平和の為に戦う」のではどうかと思います。先日或る平和団体が電車通りでジグザグ行進を始めましたので、私共の乗っていた電車が十分ばかり停車させられましたが、あれは集団暴力というものです。暴力を振るって平和を説いても無理で御座いましょう。
結局私共としましては、聖書に示されている方法、う遠のようで一番近道である「宣教の愚」で行くより外に方法が無い。という結論になりそうですが、どんなものでしょうか。

最後にもう一つだけ付け加えたきことは、病院にいる人々が平和を唱えるのも結構であること申す迄もありませんが、実際には、そんな弱々しいことでなくて、健康で、体力もしっかりしていて、然も柔和であり、平和の人である、と言うことでなければならないと思います。
個人の場合も、国家の場合も同様で御座いましょう。
くだらぬことを長々と書きまして失礼致しました。御健勝を祈ります。

三、大浦地区建物の被害状況
大浦地区は、長崎市街の南端に位し、南山手と東山手との間の谷間にある上に、爆心地から約五千米離れているので、比較的被害の少ない地区であったが、この地区の建物に原爆がどの位応えたかを記して見よう。

全般的なことについては、記憶が漠然としているので触れず、代表的に私が修理のお世話をした長崎教会の被害状況について記述する。当日の体験談は冨永政彦長老から私が直接にお聞きしたものである。

当時、長崎教会の牧師は出征中であったから、教会の牧師館には富永長老が留守番をしておられた。

教会の防空壕は、礼拝堂の床下に掘ってあったが、当日富永長老がこの防空壕に入っておられた時に、突然ドカーンと言うものすごく大きな音がしたので、長老は、てっきり爆弾が教会に命中したと思われいよいよ、これが最後と観念をされ、手を組んで祈りながら、今にも家が崩れて、死ぬるか、死ぬるか、と死を待っておられた。

ところが、いくら待たれても、一向に死なれないので、どうもおかしいと、はい出して御覧になると、西北側の窓、十六箇所のガラス戸が全部吹き飛ばされていた。ドカーンという音はその音であった。

窓の寸法は縦に二二〇センチ、横八〇センチで、これに各二枚のガラス戸が入っていたので、全部で、三二枚のガラス戸が、一度に吹き飛ばされたのであるから、相当に大きな音がしたものであろう。

長崎教会は木造家屋であるが、大変頑丈に出来ていたので倒壊はしなかったが、ガラス戸大破の外に屋根瓦が波を打ったり、壁に多数のき裂が生じたりした。特に玄関入口のセメントを巻いた大柱に大きなき裂が生じたことから想像すると、玄関上の二階の部分は倒壊の寸前まで行ったのではあるまいかと思われる。

その後、度々屋根の修理をしたが、どうしても二階の室の雨漏りが止らず、大雨が降る度に白壁を伝って幾筋もの黒汁が流れ落ち、白壁はついに黒壁と化したが、長いこと壁の修理が出来なかった。

従って多数のき裂が入っている黒壁の二階の広間は二十数年間「原爆思い出の室」として残されていたが、最近になって、やっと雨漏りの原因が見付かり、壁の修理が完了をした。

以上が大浦地区、一建物の被害状況の記録である。


四、黙示録的災厄
原爆による災厄は、黙示録九章に記されている、世の終りの前に現われる災厄に、余りにもよく似ていた。次にこの二つを並べて記して見よう。

「黙」は黙示録であり、
「原」は、長崎原爆である。
「黙」御使いがラッパを吹き鳴らした。（一）
「原」ラッパは鳴らなかったが、Ｂ２９のプロペラの音が、「ブーン」と鳴った。私の家内は、このブーンを聞くと同時に裏の防空壕に走り込んで助かった。
「黙」一つの星が天から地に落ちた。（一節）
「原」星は光って落ちるものであろうが、原爆も「ピカッ」と光って「ドン」と落ちた。それで原爆のことを「ピカドン」と言う。
「黙」煙が大きな炉の煙のように立ち上り、太陽の空気も暗くなった。（二節）
「原」何と言うことだ、戸外も黄色い煙が一面に、もやの様に立ちこめて、あるかの微風にゆらゆらと流れ一間先も判然しない。（長崎精機原爆記、七五貢より転記）
「黙」いなごが穴から地上に出て来たが、地のさそりが持っているような力が彼等に与えられていて人を苦しめた。
「原」いなごは出て来なかったが、無数の人畜の死体に湧いた蝿の大群が出て来て人を苦しめた。その模様を次に少し詳しく書いてみよう。

原爆の日から五、六日目であったか、小雨が降ったので朝の通勤時雨がさをさして地獄地帯を歩いていたら蝿の大群におそわれた。体全体は申す迄もなく、雨がさの内側にも留まり、内側全面が真っ黒になった。

あまりにひどいので、雨がさをすぼめたり開いたり二、三度やり次に雨がさをすぼめて体の回りを振りまわし蝿を全部追い払って、小走りに逃げて見た。
五、六歩逃げて一寸うしろを振り向いて見ると、驚いたことには、蝿の大群が、うしろから私を追いかけているではないか。

全く地獄の様相である。遂に抵抗を止め、留まられるままにして歩いた。但絶えずハンカチを振って、首から上だけの蝿を追い払いながら。
工場の蝿は地獄地帯程には多くなかった

それでも机の上にも沢山の蝿、食堂にも蝿がぶんぶん、と言った有様で、打てど殺せど次から次と新手が飛び来って、どうにもならなかった。
「黙」いなごの歯は、ししの歯のようであった。（八節）
「原」地獄地帯の蝿は、牛馬に湧く、刺し蝿であったから、家蝿と同形同大であったが、人畜を刺して血を吸う器官を持っていた。
「黙」苦痛の余り死を求めるが、死は逃げて行く。（六節）
「原」原爆後一週間ばかりすると、工場の後始末に懸命になっていた残存従業員の間で「一体、原爆で死んだ方がよかったか、助かった方がよかったか」との論議が始まった。地獄のような所で生きる苦痛に耐えかねて「いっそ死んだ方がよかった」と言う、死を求める気持ちが出て来たものではあるまいか。
そうかと言って、そう簡単には死ねないので、毎日アルコールを飲み、神経をぼかしておびただしい死体の搬出や火葬等に励んだものである。

原爆は世の終りの災厄に似ていたが、世界的に見れば、ほんの局部的なもので、世の終りではなかった。然しこれが世の終りの前触れでなければ幸である。
全人類が、ほんとうに悔い改めて、愛し合わなければ、世の終りが突如として来るぞ、と黙示録は告げている。